桜内梨子という奇跡

 こんにちは、祀才です。

 

 ラブライブ!サンシャイン!!の人物評記事第二弾です。

  今回は桜内梨子をとりあげます。

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 1期では梨子と出会うことで物語が本格的に動き出す、まさにヒロインといった立ち位置でした。2期では千歌を前に進ませるための露払い役も担っています。

 また、梨子の内面の変化は、千歌の変化に負けず劣らずストーリーの核心に迫っており、W主人公と評価にも十分値すると思います。

 

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 なお、タイトルは最初千歌が見出した輝きの要素であり、桜内梨子という人間の本質とは異なります。このずれからも桜内梨子人間性と物語性が伝われば幸いです。

 

 

動き出す物語 

 スクールアイドルを志した千歌がぶつかった最初の壁は、オリジナル曲を作れないとスクールアイドル部の活動ができないという事実でした。

 μ’s時代には、カバー曲で活動しているスクールアイドルも存在していましたが、ラブライブという大会ができたことで、スクールアイドルの活動のフォーマットが形成され、そのフォーマットに準じないと活動すらできない状況になったことが伺えます。

 そんなときに出会った少女が、桜内梨子でした。

 梨子はピアノを習っており、作曲もできます。しかも、出会った翌日に、千歌の憧れであるμ’sの母校である音ノ木坂学院から浦の星女学院に転校してきました。千歌にとってはまさに奇跡のような巡り合わせ。「奇跡だよ!」そう叫びたくなる気持ちもわかります。

 

堕ちた奇跡

 奇跡の象徴のような梨子ですが、その実像は奇跡とはほど遠い場所にありました。

 梨子が音ノ木坂学院から転校したのは、ピアノコンクールで失敗してしまいピアノと向き合えなくなっていたからでした。夢も目標も、自分自身も見失い暗闇の中にいました。突然制服を脱ぎだし、夕暮れの海に飛び込もうとする奇行からも、梨子の苦しい心中が伝わってきます。

 自己喪失の問題は自分自身でしか解決できません。解決には問題から少し離れてみる不真面目さが必要になることもあります。

 しかし梨子はそれができませんでした。音ノ木坂という場所から離れても、心はピアノから離れていません。離れてはいけないと思い込んでいます。だから千歌の申し出に応えることはできませんでした。

 梨子はそんな真面目な人間なのです。

 

 梨子は、千歌の誘いで海へ行き、千歌、曜という友人と、海の音を聴くという共通の神秘的な体験をしました。この体験は梨子の心をふるわし、前を向くことができたため、真面目な梨子は、千歌への恩返しのために協力することを決めました。

 しかし梨子の問題が解決したわけではありませんでした。

 問題が解決していないけれども、歌詞づくりに付き合ううちに、千歌のスクールアイドルが好きという純粋な思いに触れ、自身も純粋にピアノが好きだった頃の気持ちを思い出しました。そしてスクールアイドルへの興味がわき、自らの好きなもの、ピアノでそれを表現しました。自分の好きなもので相手の好きなものを表現する、それは相手の好きなものへの最大級の賛辞でありますが、梨子にとっては戯れにすぎない行為でした。

 この戯れには大きな意味がありました。スクールアイドルの歌で、初めて梨子は“不真面目”になれたのです。

 しかし真面目な梨子にとって、“不真面目”な自分は恥であり、受け入れられるべきものではないと思っています。しかし千歌はそんな“不真面目”な自分を受け入れてくれました。これにより梨子は“不真面目”な自分を許すことができました。

 

“不真面目”の受容

 スクールアイドルの活動を続けるうちに、梨子の抱える問題はだんだんと解決に向かっていきました。そんな折、ピアノコンクールの開催が知らされます。

 ラブライブの予備予選と同日開催であったため、梨子は誰にも相談せず出場しない決断をしようとしていました。しかし仮に別日であったとしても、梨子自身ではコンクールに出場する決断はできなかったでしょう。梨子の抱える問題はまだ解決していないのですから。

 

 千歌の言葉により、梨子は“不真面目”であることを許せるようになりましたが、“不真面目”の結果に価値を認めることができていませんでした。いや、これまで真面目にピアノに向き合い、積み重ねてきた時間があるからこそ、“不真面目”の結果に価値を見出してはいけないと思い込もうとしていたのです。

 千歌の前で、そしてコンクールで披露した「海に還るもの」は、スランプを克服し、自身でも納得できた曲です。会心の一曲でありながら、“不真面目”の結果に価値を見出してはいけないと思い込もうとしている梨子は「あまりいい曲じゃない」と嘘の評価をしたのです。 

 そんな梨子でしたが、再び千歌に背中を押されコンクールに出場し、その過程で自らの心にちゃんと向き合ったことで「海に還るもの」を正当に評価できました。“不真面目”は不真面目ではなかったことに気づくことができたのです。

 回り道に見えたとしても、それまでの過程には意味があった。そう気づくことにより真面目な梨子が抱えていた問題は解決し、梨子の再生が果たされました。

 

過程の先の“奇跡”

 梨子は、自らの再生の経験から“過程”に重きを置く傾向が強くなりました。

 この傾向は、2期1話で廃校が決まった際にこれまでの努力を称賛したこと、学校説明会とラブライブの予備予選が同日に行われる現実的な解決案を示し、自分たちのできる範囲で精いっぱい頑張るといった発言に見て取れます。

 一方で、梨子は千歌の求める奇跡についてビジョンを共有できていませんでした(千歌自身もはっきりと理解できていないので当然ではありますが)。ビジョンを共有できていなければ、それを目指す方法も考えることさえできません。過程を重視する梨子が「奇跡は起こせない」と認識するのも無理からぬ状況でした。

 

 そんな中、千歌から一つの気づきが与えられます。

 「奇跡を最初から起こそうとしている人はいない」、「ただ一生懸命、夢中になってなにかをしようとしている」その先にあるのが奇跡なのだ、と。

 これは梨子の過程を重視する思考と符合する考え方でした。奇跡が過程の先にあるのなら、梨子はすでに奇跡を体験しています。梨子にとって、再びピアノと向き合えるようになるまでの過程は奇跡に他なりませんでした。

 過程の先に奇跡がある。梨子はそう信じることができるようになったのです。

 

みえないもの

 過程の先にある奇跡は、ともすれば日常の風景と変わらないものです。日常と変わらなければ奇跡と認識できません。奇跡は目には見えないのです。目に見えない奇跡を見えるようにするためには、物事の見方を変える必要があります。

 梨子は奇跡を信じることができるようになりましたが、それは過程の先に奇跡があることを信じているのであって、奇跡そのものを信じているわけではありません。過程という実体があるものを重視する梨子は、目に見えないものを認識すること、物事の見方を変えることを苦手としていました。

 

 そんな梨子の殻を壊すきっかけを与えたのは善子でした。

 善子は自らの不運体質に関連付けて堕天使というキャラを設定しています。もちろん本物ではない、それは善子自身もわかっています。

 しかし、特別な力があると信じられる何かがあれば、善子は堕天使でいられる。その何かは超常現象である必要はない。日常の些細な事を特別だと認識すればよい。善子はそのように考えています。

 これは梨子に欠落していた物事の見方を変える考え方でした。

 

 「犬は見ただけで、敵と味方を見分ける不思議な力がある」、梨子はこの能力の片鱗を、ノクターンライラプス(本名:あんこ)との過ごした日々で感じ取りました。そのように感じれたのは、その能力が本当にあるからではなく、その能力があると梨子が信じられたから、すなわち梨子の見方が変わったからです。

 梨子はこの小さな変化を経験していたため、善子の考え方を受け入れることができ、物事の見方を変える(=見えないものを認識する)ことができるようになったのです。

 この後のヨハネちゃん」「だから善子よ!」のやり取りは典型的なギャグシーンですが、自身の見方を変えてくれた善子を特別な存在と認める意味が込められていたのだと思います。

 

 また、“みえないもの”には3つの意味が内包されています。

 一つは、本当に実体がなく、人が意味を見出して初めて意味をなすもの。堕天使ヨハネや千歌と梨子の出会いがこれに当たります。善子、千歌、梨子が意味を見出さなければ何でもありませんが、意味を見出せれば奇跡そのものとなりえます。

 もう一つは、今は実体がないけれど、これから形づくられていくもの。ラブライブ優勝がこれに当たります。一般的な目標でもあります。

 最後の一つは、今は実体があるけれど、これからなくなっていくもの。廃校を迎えてしまった浦の星女学院がこれに当たります。“みえないもの”に意味を見出していくという思想は、なくなったものに意味があった、そう強く肯定してくれます。

 

 “みえないもの”を肯定することは、現在・過去・未来そのすべてを肯定することにつながるのです。

 梨子が手に入れたこの思想は、ラブライブ!サンシャイン!!全体の物語を通じて、最も意味のあるものだと、私は感じています。

 

最後に確かめたもの

 ラブライブ決勝の直前、千歌の提案により自由行動することとなり、梨子は音ノ木坂学院に向かいピアノを弾きました。ピアノを弾きながら、梨子は自身の物語のスタート地点から、これまでの思い出を振り返っていたのだと思います。

 梨子は、過程を大事であることを知っています。“みえないもの”に意味を見出すことの重要性を知っています。一生懸命、真面目に取り組むことの尊さを知っています。

 ゆえに梨子はこのとき既に輝きの答えに到達できていました。

 

 そんな梨子が最後にやり残したこと。それは“不真面目”だったスクールアイドルに真面目に向き合うと宣言することでした。もちろん、梨子が不真面目だと思っている人はいませんし、梨子自身手を抜いていたと述懐しているわけでもありません。

 梨子にとって、スクールアイドルに誘ってくれた千歌は、その出会いが奇跡だったといわしめるほどに大切な存在になりました。真面目な梨子だからこそ、そんな大切な存在に“不真面目”なままでは終われません。ちゃんと言葉にして「スクールアイドルをやりたい」と伝えることで、けじめをつけなければいけなかったのです

 

 けじめをつけることによって、千歌と梨子の出会いは双方にとって本当の奇跡にできたのです。

 

おわりに

 物語が進むに連れて、壁ドンが好きだったり、リトルデーモン化したりと少しずつ真面目ではない一面も見られるようになります。しかし梨子の本質は真面目な人間であるからこそ、その不真面目な一面は梨子の成長であり新たな魅力であると、私は感じます。