渡辺曜という本物

 こんにちは。祀才です。

 ラブライブ!サンシャイン!!の人物考察記事第三弾です。

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 今回は渡辺曜について取り上げます。高飛び込みでナショナルチーム級の実力やビラ配りだけで人気者になるほどのコミュ力を持ち、衣装作りも料理もできる完璧超人のようなキャラクターです。

 二期ではあまり目立った活躍は描かれていませんが、それも曜というキャラクターが最初からほぼ完成されていたからだと思います。多くない出番ではありましたが、二期での描写は、曜というキャラクターを掴むうえで重要な描写ばかりだと思っています。

曜と真剣に向き合いがんばって読み解きましたので、しばしお付き合いいただければと思います。

 

 

最初から持っていた答え

 曜は幼いころから高飛び込みで才能を発揮しており、千歌にとって最初の憧れの存在でした。憧れを抱かせる活躍、そこに至るまでの過程、やろうと決めた意思。それらが「輝き」であるならば、曜は物語が始まる前から自身の輝きを手に入れていました。

 一方、曜も優しさと意志の強さを持った千歌に憧れていました。これは小さな光だとしても、誰かに届く輝きの片鱗です。それはちゃんと曜に届いていました。

2期6話で見せたアクロバットの練習の時のように、千歌の挑戦は不格好で痛々しい。そんな痛々しい姿を見せつけられた周りの人間は心配します。小さな子供ならなおさらです。千歌は中途半端な自分が許せない。それ以上にみんなを悲しませること、心配させることが嫌なのです。だから、「諦めたふり」をする。みんなを心配させるより、飽きっぽい千歌ちゃんを演じて笑われたほうがいい。 それは少しゆがんではいるけれど、千歌のみんなを気遣う優しさ、笑われることを恐れない勇気。それは意志の強さ。千歌の母も、幼馴染の曜も気がついていました。

そんな千歌に、曜は憧れたのです。

高海千歌という人間 - 海の青、天の青

 

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 曜は、最初から千歌の輝きを見出していたのです。

 曜が輝きの答えを持っていることは、浦の星女学院の廃校が決まった後も前向きに「輝きを探すため」と発言したことからもうかがえます。前向きに走り続けることが自体が輝きに繋がること、浦の星女学院の存続と輝きが結びつかないことをちゃんとわかっているのです。

 また、ラブライブ決勝の前でも、一人だけ、自分自身と向き合う描写がなされていません。曜は最初から答えを持っていたので、わざわざ輝きの答えを見つけるための時間を作る必要がなかったからです。

 曜は輝きの答えを持っています。しかし答えを見つけられたのは幸運にも、いや不幸にもというべきでしょうか、曜の環境のおかげでした。父が船長をしているため海に興味を持ち、物怖じしない性格が恐怖を超えた先にある飛び込みの才能に気づくことができました。

 

 しかし千歌はそうではなかった。海は好きだけどそれは日常に一コマだから、性格も曜に比べれば臆病でした。その意識は、できる人とできない人、特別と普通という認識を千歌に抱かせてしまいました。

 「特別」な人間の言葉は、「普通」な人間には素直に届かないものです。たとえ2人にどちらにとっても新たな挑戦であっても、他に確固たるものがある者とそうでない者とでは、同じ結果だったとしても同じ達成感になるとは限りません。千歌はその差が曜との決定的な亀裂になることを恐れ、曜の誘いを断り続けました。

 それでも千歌は曜から離れることはしませんでした。それだけ曜が大切な人だったから。たとえ近くにいることで自分が傷つくとしても、曜への憧れは捨てられなかった。諦めが悪く、自分が傷つくのをためらわない千歌の本質は曜との関係の中で形作られていきました。

 

 一方、曜の周りには千歌と同じように、曜に劣等感を感じ離れていった者が少なからずいたことが鞠莉との会話からうかがえます。それはおそらく憎み合ってのことでも、嫌われたからでもなく、ただ近くに居れなくなったから。曜は自身ではどうしようもできない離別を繰り返してきたのです。

 そんな曜にとって誘いを断り続けながらも離れていかない千歌は、より特別な存在になっていったと思われます。

 だからこそ、千歌と一緒に何かしたい、と考えるようになりました。

 

言い出せない決意

 曜は千歌と一緒に何かしたい。ではどうして千歌がスクールアイドルをやると言い始めたときはすぐに自分もやると言い出さなかったのでしょうか。

 それは千歌から誘われなかったからでしょう。

 千歌が誘わないまま自分から参加の意思を表明して、中学時代のように断られることを心配したのです。そのため、部員不足で自分が必要とされる状況が確認できて初めてその気持ちを伝えられました。それは見方によってはずるいやり方にも思えます。

 しかし曜にとっては本当の願いであり、譲れない大切なもの。慎重に進めるのは当然です。ましてや、中学時代に同じ失敗はすでに何度も繰り返しているのですから。

 曜は千歌との関係の中で、大事な気持ちほど伝えられない、後回しにする癖が身についてしまっていました。

 

 ところで、千歌はなぜ曜を誘わなかったのか。おそらく千歌はスクールアイドルを輝くため、輝きを見つけるための手段と考えていたので、すでに輝いている曜はスクールアイドルをしなくてもいいと思ったのでしょう。ここでも千歌は間違えています。

 

幼稚な導き

 スクールアイドル活動を始めた当初、課題にぶつかった千歌に曜は「やめる?」と導きの言葉を投げかけます。

 これは千歌のことをよくわかった幼馴染だからこそ言える言葉です。この言葉を投げかければ、子供の頃から千歌は無邪気に「やめない!」と返していました。梨子から見れば千歌と曜の関係の深さを感じられる言葉だったと思います。

  しかしこの言葉は、千歌に対する曜の指導レベルが千歌の幼児的反射に頼る程度のものでしかないことを示しています。千歌はもう幼児ではありません。その程度の指導では、高校生の千歌はおろか、中学生でも動かすことはできないでしょう。中学時代、千歌が曜の誘いを断り続けていたのも当然のことだと思われます。

  指導するには、相手の現況、本心、目的、課題等を把握した上で行わなければなりません。しかし曜はそれらを認識することすらできていなかったのです。

 

 そのズレは東京でのイベントで“0”票だった後に露わになりました。曜の投げかけた幼稚な導きは、千歌が抱えた悔しさに対して解決をもたらすことはできませんでした。

 千歌が立ち直った時一番近くにいたのは梨子でしたが、梨子の導きで解決したわけではありません。梨子はただ千歌の本心に向き合おうとしました。曜が千歌の本心に向き合えず、安易で幼稚な導きに頼ろうとしたのとは対照的です。このときの差が曜の梨子に対する嫉妬に繋がっていきます。

 結果、曜はこの指導法は誤りであると認識するに至りますが、誰かを指導した経験がほぼ無いため、これに代わる指導法が見つけられません。

 曜は千歌にとって自分はどういう存在なのか迷うことになり、千歌と一緒にスクールアイドルをやりたいという願いを見失わせることとなりました。

 

一緒にいることの意味

 「輝き」は自らの個性を、願いを受け入れ、自分らしくあろうとする姿に宿るものです。千歌にとって自分はどういう存在なのか迷う曜は、自らの「輝き」を陰らせてしまいます。

 千歌は自分の輝きには鈍感ですが、他人の輝きにはちゃんと気づくことができます。最初の憧れである曜の輝きが陰ればすぐ気づけます。

 しかしその原因については理解できていません。曜が千歌に憧れを抱いていること、千歌の輝きを引き出したいと思っていること、それができない自分に悩んでいること、そのために友人に嫉妬してしまっていること、何一つ気づいていません。千歌は自己評価が過剰な低いために、曜がそのように考えているなど想像すらできません。

 そんな千歌は「今やっているステップが曜にあっていないのが原因だ」と思い込み、ステップを作り直せば曜の輝きが戻ると考えました。

 的外れもいいところなのですが、間違いながらもまっすぐに行動を起こせるところは千歌のすごいところです。曜は千歌のこういうところに憧れたのです。

 「やっぱり曜ちゃん、自分のステップでダンスをしたほうがいい!1から作り直したほうがいい!私と曜ちゃんの2人で!」

 曜の家の前で千歌は叫びました。千歌にとってはステップを変えようという提案でしかありませんが、曜は千歌に自分が必要とされていることを思い出させる言葉でした。

 また、曜の抱えている悩みを理解していないからこそ、この言葉には嘘偽りはありません。嘘偽りなく千歌に必要とされている、それを思い出すことで曜の悩みは消え、本来の輝きを取り戻すことができたのです。

 

 千歌と一緒にスクールアイドルをやりたいのは、指導をするためではなく、ただ一緒にいたいから。千歌の輝きを一番近くで見たいから。そのためにはただ自分らしくあればいい。自分の本当の気持ちを素直に伝えればいい。

 

 二度目のラブライブに挑戦することを決めたとき、曜は千歌に問いかけます。「どうする?」と。

 「やめる?」ではありません。もちろん、曜と同様に千歌も答えは決まっていますが、稚拙な導きではなく、ちゃんと千歌に向き合おうとしています。なにげないシーンだからこそ、曜が成長したことがよくわかるシーンだと思います。

 

おわりに

 千歌の物語は、最初からあった輝きを最後に認識する物語であった一方、曜の物語は、最初からの願いを叶え続ける物語でした。千歌の物語が敗者の物語であるならば、曜の物語は勝者の物語でした。

 対称的ともとれる二つの物語からは、その輝きに、ホンキをかけた生き様に差などないという人間賛歌のメッセージがよく現れていると思います

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